9磐城平藩から江戸幕府直轄の支配  “小名浜代官所”の設置
 磐城平藩主内藤家が延享4年(1747)日向国延岡へ移封され、幕府は商品経済性の高い、漁港・港湾としての名が知られた小名浜について、直轄領地として入れ、磐城平藩の領地のうち、4万7000石を代官所管轄とさせました。
これが幕領小名浜代官所の誕生であります。
 時に、小名浜の港は、寛文10年(1670)に幕府ご用命の江戸は、河村瑞賢により「東回り海運」港に指定を受け幕府をはじめ、地方大名の米の運搬を担う港とともに、代官所の設置となったことが推察できます。
 さらに、漁港としての小名浜、それを担う漁民としての米野は847人、中島2475人、中町1646人、西町1269人の人口密集地帯に発生する商品経済の社会性も高まりました。
 代官さまは、122年の間26代が交替し、「人を説く」寺西重次郎や天明飢饉に際して善政をしいた蔭山外記などの顕彰が、いまだにいわきにのこり顕彰されています。

幕領小名浜代官所跡図

幕末の中島、米野村の家業調べ
Copyright(C) 2008 IWAKI-ONAHAMA.COM All Rights Reserved