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慶長7年(1602)、江戸時代初めの殿さまとして、京都伏見桃山城を死守して、その名を馳せた家柄で、のちに鳥居の血天井と伝えられる武将誉れ高い鳥居候が、江戸幕府の命により、磐城平に城を造り、市内一円の10万石を領地にした中に小名浜は属しました。
この頃の小名浜は、泉・常磐・鹿島・中之作・江名地区に囲まれるような位置と、現在の地名と区割りが出来上がりました。
農業主体の時代にあって、やはり農業生産は後背地区に依存し、海付農村としての存在であり、岡小名村の928石余に対して、416石と半分以下の村でした。
その海付農村の特長の“海”を伸ばしたのが、次の殿さま、内藤家であり、同家は元和8年(1622)以後、延享4年(1747)までの間、6代にわたり、漁業や海運業を運営する小名浜奉行人や浜奉行人を配置し、重要地区として支配しました。
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磐城平城図 |
小名浜4ヵ村と海浜の図 |
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