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江戸時代の農業生産の耕作面積には限りがあり、生産従事の農民も、それにあった人口でまかなわれており、一方の漁業生産では人口の多さが水揚げの上昇には必需であり、正徳元年の6086人は大いに漁業生産の原動力であったわけであります。
その正徳年間の小名浜は、家数1294軒
男性3029人・女性3057人、馬数142匹とあり、城下町平と比較すると平町家数631軒、人口3325人(男性1750・女性1575)、馬数58匹と小名浜の半分となります。
次に市内主要の村をみますと、
四倉村 家数373,人口1840(男性1014・女性834)、馬数92匹
久之浜村 家数210,人口902(男性499・女性403)、馬数74匹
植田村 家数181,人口875(男性436・女性439)、馬数41匹
湯本村 家数176,人口875(男性454・女性421)、馬数110匹
関田村 家数131,人口378(男性389・女性289)、馬数38匹
「正徳元卯7月諸品覚書」より
いかに、小名浜の存在が大きかったがわかります。
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