1“縄文の貝塚”文化を生い立ちに持つ小名浜
 小名浜の生い立ちは、古く原始といわれる縄文時代中ごろに海が持つ特有な華が咲く、「海洋文化」である貝塚に代表されます。
 それは小名浜湾を東から綱取、寺脇、岡小名台の上、矢田川流域の御代合曹子、相子島、さらに藤原川流域の常磐馬玉・西郷、南富岡、そして縄文貝塚のみならず、いわき最大の遺跡を擁する大畑と、小名浜各所の太平洋を臨める小高いところは、いわば貝塚の要塞といっても過言ではありません。
これはまさに、海に面しての“漁労”生活に代表されます。そこで、調査により出土したもので、カツオやマグロなどの魚の骨の多いことに驚きます。
 その釣る道具ですが、鹿の骨を加工した日本全国でも有名な「結合式釣り針」があります。
 まさに小名浜の縄文は、魚の水揚げに賑わうところであったことがうかがわれます。

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