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磐城平藩内藤家は寛永11年(1634)10月親の政長候没後、兄忠興候は磐城平藩7万石を相続し、弟である政晴候に対して、泉2万石を与えて、「泉藩」を誕生させ、崇神崇仏を重んじる家柄で、分家の武運長久を願い、式内社の住吉神社の再建や荘厳な「絵馬」(市文化財)を奉納し、城下町などの整備に尽力した。
しかし、分家は3代を経て元禄15年(1702)上野国(群馬県)安中の藩主板倉重同候と入れ替えにより移封した。
板倉家の政治は短く、延享3年(1746)には、遠江国(静岡県)相良の本多家と交替しました。
この本多家は知将誉れ高き家柄で、6代を経ますが、なかでも2代の忠籌候は、あの老中職で担う人物であり、また、国元でも「こぞのしおり」など領内での紀行文等を残し、善政からのちに泉神社の御正体にあげめ奉られるほどでありました。
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泉城図
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